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商品情報
クレストブリッジ PVC iPhone12/12Pro ケース
■品番
51V-85-682

■サイズ
縦15.2cm
横7.7cm

■カラー
・ブラック(09
・べージュ(42

■付属品
・クレストブリッジ正規ショッピングバッグ

■商品説明
本体だけでなくスクリーンも保護できる手帳型のiPhoneケースです。iPhone12/12Pro対応
ケース内側のカード収納ポケットや動画視聴に便利な横置きスタンド機能など使い勝手の良さを追求しています。
クレストブリッジチェックに立体的なPVC加工を施す事で、より高級感のある上質な仕上がりになっています。内装には牛革を使用しています。


複数店舗と在庫を共有している為、在庫更新のタイミングにより、
在庫切れの場合やむをえずキャンセルさせていただく可能性があります。
※入荷時期により、パーツや素材が異なる場合や、細かなマイナーチェンジ等がどざいます。予めご了承くださいませ。

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Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2022/05/11

【Burberry】リバーシブルコート

 お待たせしました。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのデビュー作パープル・ハイビスカスが、今月20日に河出書房新社から発売です。(追記:5.18ネット書店で「在庫あり」になりました!

異端になることを恐れるな。たった一度の自分の人生を生きるために  西加奈子

 舞台はナイジェリアの南部エヌグという町、主人公カンビリは15歳の女の子。裕福だけれど、とても厳格なカトリック信者の父親の、強い支配のもとに暮らしています。兄のジャジャとは、ことばではなく、もっぱら眼差しで会話をするような暮らしです。

 父親の妹で大学講師のイフェオマおばさんが、それをみかねて、兄と妹をスッカの家へ招いてくれます。おばさんの家で、いとこたちが自由に自分の意見を言い合う様子にカンビリは心底びっくりして、最初はガチガチに緊張しながらも、だんだん外の世界に目覚めていきます。

 おばさんの家によく訪ねてくるアマディ神父に、いとこたちは辛辣な疑問を投じて、議論の花を咲かせています。一言もしゃべらない内気なカンビリを心配したアマディ神父は、彼女をサッカー場へ連れ出して、思い切り走ることを教えてくれます。うっとりするような美声のアマディ神父に、カンビリは淡い恋心を抱きますが……

 イフェオマおばさんはガーデニングに凝っていて、家の前の花壇には赤ではなく、紫色のハイビスカスが咲いていました。兄のジャジャがその茎を家に持ち帰って育てるのですが。。。自由という色を秘めた、紫色のハイビスカス。

 この作品には、発表当時JM・クッツェーからこんな賛辞が寄せられました。

 宗教的不寛容とナイジェリアという国家の酷薄な面に、あまりに年若くしてさらされた子どもの、繊細で心に沁みる物語。          J・M・クッツェー

            

 2003年に米国南部にある小さな出版社アルゴンキンから出た、アディーチェの初めての長編作品。『半分のぼった黄色い太陽』や『アメリカーナ』にくらべると登場人物も多くないし、人間関係もそれほど入り組んでいないので、初めてアディーチェの作品と出会うには、この本が最適かもしれません。 

 

2022/05/06

「すばる 6月号」に「曇る眼鏡を拭きながら 5」が

 今朝は少し雲が多いけれど、でもまだまだ気持ちのいい初夏の一日、斎藤真理子さんとの往復書簡「曇る眼鏡を拭きながら」も第3ラウンドに入りました。

 今日発売の「すばる 6月号」に載っているのは、斎藤真理子さんへ、くぼたのぞみが書く3通目の手紙です。

 先月号の手紙で真理子さんから、クッツェーの『青年時代』の切り抜きの意味を質問されたので、お返事としてそれについて書きましたが、予想通り、書いているうちにどんどんハマって、クッツェー祭りになってしまいました(笑)。

『青年時代』はクッツェー自伝的三部作の第2巻で、2014年にインスクリプトから出た『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』に入っています。

 第1巻と第3巻に挟まれて、やや影が薄い作品のように見えますが、どうして、どうして、改めて読むと、これはサンドイッチの中身のようにコクがあって、噛み締めると味がにじみ出てくる作品です。どこまでもドライな筆致で書かれていますが、若いってこういうことだったよなあ、と納得の一冊です。納得だけではなく今回は『ダスクランズ』を翻訳した後初めて読んだこともあって、新たな発見がいくつもありました。

 この第2部は、自分を死んだことにして、生前の友人や恋人へのインタビュー構成で読ませる第3部『サマータイム』に比べると、やや地味に見えますが、青春の嵐をくぐり抜けた人がじっくり読むと、きっとジーンとくること間違いなしです!

2022/04/23

南アで In the Heart of the Country が出版された年は?『生まれつき翻訳』

 ようやく時間ができたので、レベッカ・L・ウォルコウィッツ著『生まれつき翻訳』(監訳・佐藤元状、吉田恭子/訳・田尻芳樹、秦邦生、松籟社, 2021)を読みはじめる。監訳者の方々は「クッツェーファンクラブ」の面々なので、読むのを楽しみにしていたのだ。

 まずは序章「世界文学の今をめぐって」をざっくり読んでいくと、クッツェーという作家名がかなり出てくる。そこはゆっくり読む。するとチカチカと点滅する文字群に出くわした。p24の3つ目の段落はこう始まる

「ニューヨークやロンドンなど出版業界の中心から外れた場所にいる英語作家も、翻訳を余儀なくされることがある。ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴが最初の一連の長編をキクユ語で出版することにしたのはよく知られているが、自らの翻訳で英語でも出版してきた。チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』にはイボの言葉がそこここに使われているが、一九六二年、ロンドンのハイネマンの叢書で出版されたときには用語集が必要だったし、クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが、英国版では一部がアフリカーンス語から英語に翻訳されている」(下線引用者)


 アフリカ系/発の作家たちと言語との関係をざっと見渡す部分だが、下線を引いた箇所で「?」となった。クッツェーの第二作目に当たるこの本はまず、イギリスとアメリカで出たはずだ。念のため原文も当たってみたが、原文通りの訳になっているから、これは著者レベッカ・L・ウォルコウィッツの勘違いなんだろう。まず下線部前半。


1)クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが

  In the Heart of the Country(わたしはいくつかの理由で原タイトル通りに『その国の奥で』とする) の「初版は」たしかに1977年に出ているが、南アフリカのRavan社からではなくイギリスのSecker社からだ。同年にアメリカのHarper社からもタイトルが一語異なる形で出ている(理由は後述する)。南アフリカで英語とアフリカーンス語の混じった「バイリンガル版」として出たのは翌年の1978年6月だ。出版にいたる事情は非常に複雑。この出版年の微妙なずれについては、2014年の拙者訳『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)の年譜にも、昨年の『J・M・クッツェーと真実』(白水社)の年譜にも載せた。だからここはちょっと残念。


 クッツェーがこの作品を書き上げたときは2つのバージョンがあった、とカンネメイヤーの『伝記』(伝記 p288~)やデレク・アトリッジの著書(Attridge p22)は伝えている。デイヴィッド・アトウェルの作品論(p65~)にも詳しい。(参考図書はブログ下に)

Ravan 1978

 2つのバージョンのうち1つはすべて英語のバージョン。もう1つは会話部分がアフリカーンス語のバージョンだ。ロンドンのエージェント宛てのクッツェーの手紙によると、会話部分にフォークナーが南部訛りの英語を用いたように、自分も英語でローカルな感じを出したいとやってみたがうまくいかなかった、とある。会話は英訳前のアフリカーンス語バージョンがしっくりくるとクッツェーは述べる。


 テクストが海外版と南ア版で異なるこの作品の出版が、南アフリカで一年遅れた理由は、1970年半ばに南アフリカの検閲制度が大きく変化し、作家や編集者が検閲委員会の動きを注視せざるをえなくなったことと関連があるようだ。さらに、旧植民地をも市場にしたいイギリスの出版社と南アフリカの極小出版社との、販売権をめぐる複雑な事情が絡んでいる。


 これはまだ初作『ダスクランズ』が南アフリカでしか出版されていなかったころで、クッツェーは二作目はイギリスやアメリカで出版したいと強く希望していた。そこでレイバンの編集者とイギリスのエージェントと同時に交渉していたらしい。その結果、まず英語のみのバージョンがイギリスとアメリカで出版され、会話部分がアフリカーンス語のバイリンガル版が翌年、南アフリカで出版ということになった。


Harper Collins 1977
 米国版は内容は英国版と同じだが、タイトルがFrom the Heart of the Country になった。これは、Harper の編集者から、In the Heart of the Heart of the Country という書籍がすでにあって図書館に所蔵するときコンピュータ上混乱するので、Here in the Heart of the Country にしてはどうかと提案されたクッツェーが、それでは長すぎるし、自分がつけたタイトルはテキスト全体を貫くあるリズムを示しているのだ、としてFrom the Heart of the Country を提案し、決まった。(下線筆者)

 クッツェーが2つのテクストを準備した理由は、農場を舞台にした会話場面の多いこの作品の本質と関わってくる。南アフリカの農場で用いられる言語は、『少年時代』を読むとわかるが、圧倒的にアフリカーンス語だ。会話はアフリカーンス語であるほうが、クッツェーを含む南アの読者にとって自然なのだ。次に下線の後半部分。


2)英国版では一部がアフリカーンス語から英語に翻訳されている。
Secker&Warburg 1977
 先行する「初版が」が事実と異なるので、理解しにくいのだけれど、ウォルコウィッツは「南アフリカの初版」をアフリカーンス語含みのバイリンガル版と考えたのだろう。

 何語から何語への翻訳かは、アトウェルの草稿研究が明らかにしている。会話部分は最初アフリカーンス語で書かれていたが、作家が改稿の見直しをするとき、草稿の反対ページにアフリカーンス語会話の英訳を書きこむようになったのだ。「自分の作品は英語という言語にルーツをもっていない」と明言するにいたった作家の心情が、非常によく出ているのがこの農場を舞台にした『その国の奥で』だった。


 というわけで、どうやらこの作品の出版年をめぐるウォルコウィッツの誤記に、「クッツェーファンクラブ」の面々は残念ながら気がつかなかったらしい。些細な誤記ではあるが、1970年代南アフリカの出版事情は、J・M・クッツェーという作家の誕生にとって重要なポイントなのだが。

 なんでこんな文章を書いているのか、と自問してみる。どうやらそこには、日本のクッツェー研究者に南アフリカのことをもう少し突っ込んで探って欲しいと思っている自分がいることに気づく。アフリカなんか、と思わずに。クッツェーが生まれて育って、20代の10年間をのぞいて62歳まで暮らした土地なんだから。


 ウォルコウィッツのこの本は、トピカルなテーマを追いかける文芸ジャーナリスト顔負けの奇抜な見立てと文章力で読ませてしまうところが、すごい。でもその足場として透かし見える軸は、「世界文学」としての英語圏文学をマッピングして描こうとする「北の英語文学理論」の欲望にあるのではないか。バッサバッサと斬新なテーマで切っていく勢いには、辺境で生み出される個々の作品の、いってみれば英語以外の「その他の言語」で書かれる作品の出版事情なんかにいちいちこだわらなくてもいい、という姿勢が見え隠れする。いや、ぜんぜん隠れてないか(笑)。村上春樹とJ・M・クッツェーを「翻訳」というキーワードでおなじ土俵に並べてしまうのだから。この2人にとって作家として生きる言語環境と、「翻訳」の切実性や必然性の依って立つところは、まるで異なるだろうに。


 また born translated をわたしは「翻訳されて生まれてきた」と訳すことにしているが、それは「生まれつき翻訳」は「分類」「仕分け」には便利だが、作品が立ちあがる動きを切り捨てるニュアンスがあるためだ。おそらくそれは作品翻訳者の姿勢と、数多くの作品を「研究」する者の姿勢の違いからくると思われる。もう一つ、あえていうなら「生まれつき」に続く語にマイナスイメージ(差別語)を呼ぶ気配が消えないからだ。そのような表現を長く、耳から浴びつづけた世代だからかもしれないけれど。


 翻訳はさぞや大変だっただろうなあと推察する。膨大な作品数と原註、そのファクトチェックの結果と思しき訳註で、クッツェーの書評集と小説の冊数をめぐる警告が入っていたりして、苦労の跡がしのばれます……ご苦労様でした。👏👏👏👏


 ちなみに、2022.4.18現在のWikipedia(英語版)In the Heart of the Countryは、出版年、バージョンともに、きちんと事実を伝えています。💖


****

追記:2022.4.24──

1)参考図書をあげておきます。(『J・M・クッツェーと真実』にも入れました。)

Derek Attridge: J. M. Coetzee and the Ethics of Reading, University of Chicago Press, Chicago, London 2004.

Peter D. McDonald: The Literature Police, Oxford University Press, 2009.
J. C. Kannemeyer: J. M. Coetzee, A Life in Writing, Scribe, 2012.
David Attwell: J. M. Coetzee and the Life of Writing, Viking, 2015.

Marc Farrant, Kai Easton and Hermann Wittenberg: J. M. Coetzee and the Archive: Fiction, Theory, and Autobiography, Bloomsbury, 2021.

Robert Pippin: Metaphysical Exile on J. M. Coetzee’s Jesus Fictions, Oxford University Press, 2021.


2)『その国の奥で』のことは『J・M・クッツェーと真実』第三章「発禁をまぬがれた小説」で、部分訳も引用しながら、詳述しました。

2022/04/21

「白水社の本棚」に寄稿しました:J・M・クッツェーと駆けぬけた33年

 <J・M・クッツェーと駆けぬけた33年>

「白水社の本棚」2022 春号、に寄稿しました。
 フランス語やフランス文学を学ぶ学生だったころ憧れの出版社だった白水社から、『J・M・クッツェーと真実』を出すことになった経緯、出してからの出来事、読売文学賞受賞をしらせる電話のベルがなった日に、どんなことがあったのか。その日は、「禍福は糾える縄のごとし」と思えるような一日だったのです。

2022/04/08

ひまわりの種を──「文藝春秋」5月号


写真はイメージです💦
  ひまわりの種を

「黒糖とひまわり」の続きです。
「ひまわりの詩」の第二弾が、雑誌「文藝春秋」5月号に載りました。p89 です。


ページのまんなかを四角く区切った、小さな箱のようなスペースに、ぎゅっと詰まったことばたち。

2022/04/01

黒糖とひまわり──水牛のように

写真はイメージです💦
「水牛」に、とても 久しぶりに詩を書きました。
エイプリル・フールではありません! 

リンク先を訪ねてみてくださいね、ぜひ!

   黒糖とひまわり

2022/03/24

「世界」と思っていたものは

3月22日(火曜日)の東京新聞夕刊に掲載されたコラム「海外文学の森へ 27」で 『「その他の外国文学」の翻訳者』(白水社)を紹介しました。多くの人に読んでいただきたい内容なので、ここにもアップします。

 担当編集者のHさんがつけたタイトル:「世界」と思っていたものは──が秀逸です。


これ以上クリアな画像にならないのが残念ですが。

2022/03/16

今日はヒヨドリ

今日は緋寒桜にヒヨドリがやってきた。

 ウクライナで起きていること、ロシアで起きていること、SNS上のニュースを追いかけてばかりいる。

  沼野充義・沼野恭子編訳『ヌマヌマ』(河出書房新社)から、ミハイル・シーシキンの作品「バックベルトの付いたコート」を読んだ。

 母親がウクライナ人、父親がロシア人だったシーシキンは、いまの戦争を両親が生きて体験せずによかったと語っていた。それを読んで、アミラ・ハスがパレスチナの現状について、まったく同じことを語っていたのを思い出した。もう何年も前のことだけれど。

アミラ・ハス──私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ


2022/03/13

メジロがやってきた

 昨日と今日はポカポカ陽気で、春うららと言いたい気分になる。今日は朝から、ぴいぴいぴいと賑やかなさえずりが聞こえる。窓の向こうをみると、濃い桃色の花がふくらんで、いよいよ咲くかな、咲くかなと思わせる緋寒桜。

「経済効果」だかなんだか知らないけれど、ここ数年やたら枝を伐られる木々たち。それでもやってくる鳥たち。それを待っている人たち。

 今朝はメジロがやってきた。スマホなんか持ってないので、古いデジカメで手ブレを防ぎながらようやく撮ったメジロ。緋寒桜のふくらんだ蕾をしきりについばんでいる。

 メジロはウグイス色で、ウグイスは渋い灰色、というのは実際に鳥を見てあらためて気づいたことだった。もちろん、すべて東京にきてから得た知識だ。蘇芳色なんてのも、22歳か23歳のころ知った「外国語」に近い感覚の、「内地」でしか目にできない色を示すことばだった。

 今朝の朝日新聞「折々のことば」に、『山羊と水葬』が引用されていた。「サイロのある家」から。あれは窓ガラスを拭いているときの話だったな。


2022/03/09

第73回読売文学賞贈賞式のためのスピーチ

 白水社のお知らせサイトにアップされました。

『J・M・クッツェーと真実』読売文学賞贈賞式スピーチ


残念ながら、2月15日に帝国ホテルで開かれた贈賞式には出席することができませんでしたが、代理に編集の杉本貴美代さんが、その場でスピーチ原稿を読み上げてくださいました。杉本さんにはお世話になりっぱなしでした。心からの感謝を!

2022/03/08

パウル・クレーのカレンダーがきた

 2月はいろいろあって、思い出すだけでも背中が痛くなりそうな、怒涛の日々が続いた。そして背中ではなく、なぜか左膝が痛くなった。

こういうときは好きなものを身近に引き寄せること、それで急に思い立って、パウル・クレーのカレンダーを注文した。2022年のカレンダーをいまごろ注文する人もめずらしいか、と思いながら、目的はクレーの絵をカジュアルに壁に飾ることだから、これでOKなのだと自分に言い聞かせる。

あっという間に届いたカレンダー、さっそく飾った。とにかく好きなのだ、パウル・クレー!

 3月は、片目でウィンクしてるみたいなこの絵です。

2022/02/10

読売新聞 2月10日朝刊にインタビュー記事が掲載されました


 2月10日の読売新聞朝刊にインタビュー「南ア作家 読み解き続け」が掲載されました。基本的にメールによるインタビューをもとにしたものです。

 2月1日に発表された読売文学賞。「研究・翻訳賞」を受賞したわたしは、今日10日の最後の回に登場いたしました。記者の石田汗太さんが熱心に拙著、拙訳を読み込み、『J・M・クッツェーと真実』の内容や詩集『記憶のゆきを踏んで』からの引用を織り混ぜて、コンパクトながら要点をしっかり盛り込んで仕上げてくれました。

 さまざまな事情から直接お会いできませんでしたが、記事は骨太の内容。ちょうど前日9日に誕生日を迎えたジョン・クッツェーのお祝いメールのことばで結ばれていて、嬉しい。ありがとうございました。